竹村良貞

明治期のジャーナリスト、政治家 From Wikipedia, the free encyclopedia

竹村 良貞(たけむら よしさだ、文久元年11月25日[1]1861年12月26日)- 1940年昭和15年)6月9日)は、明治期ジャーナリスト政治家帝国通信社社長。

竹村良貞

経歴

越後国高田藩士の子として生まれ、藩校に学び、数え17歳で西南戦争に従軍。1878年(明治11年)に上京して慶應義塾に入り、1881年(明治14年)に卒業した。郷里に帰り有志者とともに高田新聞を創刊するが、高田事件をめぐる報道が新聞紙条例違反に問われ入獄。さらに、出獄後に書いた記事が官吏侮辱罪に問われ、新潟監獄及び長野監獄に入獄した。

1883年(明治16年)、再び上京して報知新聞に入社。慶應出身の矢野文雄とともに同紙の改革を進め、1889年(明治22年)には矢野が経営していた新聞用達会社を譲り受け、民権派の報道機関として政府を攻撃した。1892年(明治25年)、時事通信社[2]と合併して帝国通信社と改称、その社長に就任した。

1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙において新潟県選出の代議士憲政本党所属)となり、さらに1917年大正6年)の第13回総選挙でも当選(憲政会所属)。その他、東京市会議員及び参事会員や麹町区会議長を歴任した。

脚注

参考文献

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