笠梁麻呂
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弘仁2年(811年)従六位下から四階昇進して従五位下に叙爵され、民部少輔に任ぜられるが、まもなく豊後介に転じる。弘仁4年(813年)豊後守に昇格し、弘仁12年(821年)従五位上に叙せられる。
淳和天皇が即位した弘仁14年(823年)に正五位下に昇叙され、淳和朝では兵部大輔・民部大輔を歴任し、この間の天長8年(831年)に従四位下に叙せられた。
仁明朝に入り、承和年間初頭に丹波守として地方官に転じたのち、勘解由長官・左中弁と再び京官を歴任し、承和5年(838年)従四位上に叙せられている。承和7年(840年)大舎人頭に転じるが、のちに老齢であることから激務を避けるために伯耆守に任ぜられ遙任で務めた[1]。