笠石神社 (大田原市)
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位置
北緯36度49分08.4秒 東経140度07分19.4秒 / 北緯36.819000度 東経140.122056度座標: 北緯36度49分08.4秒 東経140度07分19.4秒 / 北緯36.819000度 東経140.122056度
主祭神
那須直韋提
| 笠石神社 | |
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| 所在地 | 栃木県大田原市湯津上430 |
| 位置 | 北緯36度49分08.4秒 東経140度07分19.4秒 / 北緯36.819000度 東経140.122056度座標: 北緯36度49分08.4秒 東経140度07分19.4秒 / 北緯36.819000度 東経140.122056度 |
| 主祭神 | 那須直韋提 |
| 創建 | 元禄5年(1692年) |
1676年(延宝4年)、僧侶の円順により那須国造碑が発見された。1683年(天和3年)、水戸藩第2代藩主徳川光圀が当地を訪れ、この碑の存在を知った。光圀は碑の重要性を認識し覆堂を建てて保護しようとした。ただ碑の所在地は当時水戸藩領ではなかった。そのため関係当局と折衝を続け、1687年(貞享4年)にようやく覆堂を建てて整備した。これが当社の起源であり、神体は那須国造碑そのものである[1]。
近くには上侍塚古墳と下侍塚古墳があることから、光圀は両古墳の被葬者を碑文にある「那須直韋提」「意斯麻呂」父子と推測、日本初の学術的発掘調査が行われた。責任者は佐々宗淳[2]である。発掘前に「被葬者の眠りを妨げることを謝する」意味で丁重な儀式を執り行い、出土品は全て図面に記録・作成後、元通りに埋め戻し、松を植えて墳墓の崩壊を防ぐなど、当時としては最大限の配慮がなされている[1]。
- 笠石神社本殿
- 上侍塚古墳
- 下侍塚古墳