笠間広盾

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笠間 広盾(かさま ひろたて、弘化2年(1845年)12月 [1]明治16年(1883年11月25日)は柳河藩出身の海軍軍人。名は楯雄とも。のち海軍大佐に進み、従五位・勲四等。

柳河藩士として生まれ、旧筑後柳河藩士・笠間直の伯父にあたる。慶応4年4月には兵庫海軍出張所への出仕を命じられ、明治4年ごろに大尉となった。明治7年の佐賀の乱では江藤新平の行方探索のため肥前海上を捜索し、その功により正七位に叙された。同年10月ごろに少佐へ進み正六位となる [2]

明治10年の西南戦争では孟春艦長として従軍して功を挙げ、明治11年1月4日に勲四等旭日小綬章を授与された。明治14年には中佐に進み、筑波艦長として明治15年にはオーストラリアへ派遣され、その卓越した手腕により川村純義四天王の一人と称された。明治16年11月24日、伊万里で卒中症を発し、この日に大佐・従五位に叙任され、翌25日に死去した。享年38[2]

また、同藩の曽我祐準とは親交が深く、慶応2年10月3日には長崎から南方視察に出て上海などへ渡航している [3]

脚注

参考文献

関連項目

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