第19SS武装擲弾兵師団
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編成
第2SS歩兵旅団に所属する第46武装擲弾兵連隊(ラトビア第6連隊)を中心に3個連隊が合流して編成され、同時に他の2個連隊番号が39から40、42から43へ変更された。
連隊称号はそれぞれVoldemars Veiss、Hinrich Schuldtとなっている。
師団の編成とナルヴァの戦い
第19SS武装擲弾兵師団は、親衛隊が作った二つ目のラトビア人義勇兵師団である。姉妹関係にある第15SS武装擲弾兵師団がドイツ人部隊を核として作られたように、第2SS装甲師団から多くの士官が送りこまれてきた。この師団は警察大隊にいたラトビア人の参加により兵員数は不足にならなかった。実際に編成が行われたのが1944年5月で、そのたった1ヶ月後にはソ連の夏の大攻勢(クラスノエセロ・ロプシャ攻勢)という実戦の場に放り込まれることとなった。バルト諸国へ突進してくる赤軍の正面に立って、赤軍よりも兵員の数ではるかに劣るドイツ軍の1師団として、それからの6ヶ月間を何とか凌ぐことに成功した。[1](ナルヴァの戦い)
クールラントポケットへの撤退と反乱
戦争末期での行動
その他
師団長
| 着任 | 離任 | 階級 | 氏名 |
|---|---|---|---|
| 1943年9月5日 | 1944年3月15日 | 親衛隊上級大佐 | ヒンリヒ・シュルト Hinrich Schuldt |
| 1944年3月15日 | 1944年4月13日 | 親衛隊大佐 | ヴィルヘルム・ボック Wilhelm Bock |
| 1944年5月26日 | 1945年5月 | 親衛隊上級大佐 | ブルーノ・シュトレッケンバッハ Bruno Streckenbach |
師団兵力
- 1943年12月 8033人
- 1944年6月 10,592人
- 1944年12月 9396人
戦力組成
- 第42SS武装擲弾兵連隊「フォルデマール・ファイス」
- 第43SS武装擲弾兵連隊「ハインリッヒ・シュルツ」
- 第44SS武装擲弾兵連隊(ラトビア第6)
- 第19武装砲兵連隊
- 第19SS軽歩兵大隊
- 第19SS戦車猟兵大隊
- 第19SS対空砲兵大隊
- 第19SS工兵大隊
- 第19SS補給大隊
- 第19SS衛生兵大隊
- 第19SS野戦郵便局
- 第19SS獣医大隊
- 第19SS総務大隊
- 第19SS通信大隊