第4軍団 (北軍)
From Wikipedia, the free encyclopedia
Command History
ポトマック軍第4軍団は1862年3月13日に編成され、第一次ブルランの戦いで旅団長であったエラスムス・キース( Erasmus D. Keyes)が軍団長に就任した。当初は3個師団編成であり、師団長はダライアス・コウチ、サイラス・ケイシー(Silas Casey)及び ウィリアム・ファーラー・スミスであった。1862年9月のアンティータムの戦いに際して、コウチの師団は第6軍団に所属替えとなり、戦争終了までそのままであった。軍団の最大兵力(1862年初頭)は37,000人であった。

1862年3月、第4軍団はジョージ・マクレランの半島方面作戦に参加し、海路バージニア半島南東端に上陸し、アメリカ連合国の首都リッチモンドを目指して北西に進んだ。5月31日-6月1日のセブンパインズの戦い及び7月1日のマルバーンヒルの戦いで南軍の攻撃を撃退した際に、主要な役割を果たした。作戦自体は失敗しポトマック軍はワシントンに引き上げたが、第4軍団はバージニア半島に留まった。その後、ジョン・アダムズ・ディクスのバージニア軍管区(占領部隊)に所属し、1863年7月のゲティスバーグの戦いの際には第7軍団と共にリッチモンドに対する小規模な陽動作戦を行った。1863年8月1日に、軍団は正式に解散した。
| エラスムス・キース | 1862年3月13日 - 1862年8月 | ポトマック軍 |
| エラスムス・キース | 1862年8月 - 1863年8月1日 | バージニア軍管区 |
