第505重戦車大隊
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戦歴
第1中隊と第2中隊は、1943年5月に東部戦線中部のオリョール地区に移動した。1943年6月10日ティーガーI 45両となり、III号戦車を装備から外した。クルスク戦に備えて演習を行った。2個中隊31両のティーガーIで7月5日、クルスク戦に突入した。第3中隊が本国から東部戦線に向け出発し、7月8日に到着した。当初稼働可能な予備の戦車は26両であったが、対戦車地雷によりわずか2日間で6両に激減[1]。一方で赤軍戦車111両の撃破を報告した[2]。
中央軍集団の再編を経て、1944年6月下旬~7月上旬、第5装甲師団隷下になる。同年、ソ連軍夏季攻勢による後退戦、バグラチオンの初期段階での激しい防衛戦で[3]、15両を消耗した。1944年7月にティーガーII装備のため一旦本国へ後退、受領後リトアニア、東プロイセンへ派遣され、第24、25装甲師団を支援。
1944年7月にドイツ本国へ引きあげるまで、中央軍集団と共に、ポーランド、リトアニア、東プロイセンで押しよせるソビエト軍を相手に戦い抜く。1944年9月に45両のティーガーIIを装備し、ポーランドに送られる。部隊は、とりわけワルシャワやナレフ川流域で戦い、1944年10月21日にネーメルスドルフの再征服に関与。1945年2月には包囲された東プロイセンのケーニヒスベルク (現ロシア領カリーニングラード)の解囲攻撃に投入されるが、攻撃は失敗し1945年4月半ばに大隊の残部はクルシュー砂州にてソ連軍に降伏し、メーメル戦区にて壊滅した。
部隊マークとして槍を持ち突撃する騎士が、いくつかの戦車の砲塔に描かれた。
| 戦力の推移[4] | 1944年10月1日 | 11月1日 | 12月1日 | 1945年1月15日 | 2月5日 | 3月15日 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 主力戦車 | 43 | 39 | 29 | 44 | 30 | 2 |
| 使用可能車 | 32 | 36 | 11 | 17 | 0 | 0 |
| 修理中 | 10 | 3 | 18 | 27 | 30 | 2 |
| 喪失 (期間中) | 2 | 6 | 10 | 4 | 13 | 30 |
指揮官
- 1943年2月 - 8月:ベルンハルト・ソーヴァン少佐
- 1943年8月 - 9月:フォン・キャロウィッツ大尉
- 1943年9月 - 1944年11月:ヴェルナー・フライヘル・フォン・ベシュヴィッツ大尉
- 1944年11月 - 1945年4月:センフット・フォン・ピルサッチ少佐