ジブラルタル包囲戦 (1436年)
第七次包囲戦
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背景
準備
包囲戦
ムーア人は攻撃が計画されていると警告され、迎え撃つために準備した。グラナダ王国とマリーン朝から物資と援軍を受け取り、赤砂エリアの要塞が大幅に強化された。伯爵はムーア人の準備状況を知らず、自ら海軍に赤砂エリアを攻撃するように指示し[7]、ムーア人は海軍の上陸を妨害することはなく[8]、上陸後に船は艦隊に戻った。しかし、上陸した襲撃者は、自らがいる海岸が海と高い石の壁の間にあることに気づいた。潮が満ちて来て、海岸が狭くなり、ムーア人が岩と矢を頭上から降らせてきた[9]。
船で大砲を監督していたデ・グズマンは、陸上で起こっていた虐殺について警告され、援軍に向かおうとしていた船に同乗した。しかし、船は人間でいっぱいであり、さらに乗ろうとすると転覆、沈没してしまい、デ・グズマンと騎士40人が溺死した。フアン・デ・グスマンは、北から城を攻略することはできないと悟り、大惨事を聞き付けると、軍を連れて父親を助けるために準備していた[10]。それでも、軍の士気がなくなり、実際に取るべき行動がなかったので、フアン・デ・グスマンは、包囲戦を放棄した[11]。
余波
ムーア人がエンリケ・ペレス・デ・グズマンの遺体を見つけ、籠に入れ、城のタレットに吊るした[11]。1445年、カスティーリャ王フアン2世はフアン・デ・グスマンをメディナ=シドニア公に叙し、公は最終的に1462年の第八次包囲戦でジブラルタルを占領した[12]。早くからキリスト教国が遺体の返還を申し入れていたにもかかわらず、その時になってようやく、エンリケの遺体を取り戻し、城のカラオラのチャペルに埋葬された[13]。ジブラルタルの門の一つがニエブラが晒されたbarcina(藤の籠)にちなんで名付けられた[14]。