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第二十三日東丸

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船種 漁船
所有者 日東漁業
運用者 日東漁業
 大日本帝国海軍
第二十三日東丸
徴用前の第二十三日東丸。
基本情報
船種 漁船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 日東漁業
運用者 日東漁業
 大日本帝国海軍
建造所 藤永田造船所
母港 下関港/山口県
船舶番号 41121
信号符字 JCWK
経歴
進水 1935年10月
最後 1942年4月18日被弾沈没
要目
総トン数 90トン[1]
純トン数 41トン
全長 26.5m
幅 5.1m
深さ 2.6m
主機関 石油発動機 1基
推進器 スクリュープロペラ 1軸
出力 130馬力
1941年12月1日徴用。
出典は基本的に『特設監視艇一覧表』[2]より。
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第二十三日東丸
炎上する第二十三日東丸
基本情報
艦種 特設監視艇
艦歴
就役 1941年12月10日(海軍籍に編入時)
連合艦隊第五艦隊第7根拠地隊第7防備隊/横須賀鎮守府所管
除籍 1942年5月10日
要目
兵装 九三式13mm機銃1門。
装甲 なし
搭載機 なし
徴用に際し変更された要目のみ表記。
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第二十三日東丸(だいにじゅうさんにっとうまる)とは日本の漁船で特設監視艇。

日本海軍は太平洋東方面の警戒を強化するため1941年(昭和16年)末から監視網の増設と強化を図り116隻の監視艇を徴用配備し、第一、第二、第三監視艇隊を編成した。「第二十三日東丸」はこのとき徴用された漁船の一隻で、すくなくとも13ミリ機銃一丁を装備していたと考えられる。

1941年(昭和16年)12月1日に特設監視艇として徴用。第五艦隊の第二監視艇隊(1942年2月1日編成)に所属[3]。第二監視艇隊は第二十二戦隊および第一、第三監視艇隊とともに哨戒部隊(軍隊区分、2月1日発令)として日本本土の東方で哨戒任務に従事した[4]。

特設砲艦「安州丸」(朝鮮郵船、2,601トン)および他の監視艇12隻と共に1942年2月17日に横須賀から哨戒に出撃[5]。これらは3月6日までに釧路に帰投した[6]。次の出撃は3月12日で、釧路より出撃し哨戒に従事して3月28日までに釧路に帰投した[7]。

4月4日、特設巡洋艦「粟田丸」、特設砲艦「安州丸」および「第二十三日東丸」を含む監視艇17隻は釧路より出撃[8]。4月17日に次の部隊と交代して帰路についた[9]。

4月18日、釧路へ向かっていた「第二十三日東丸」は6時30分(日本時間、以下同じ)に北緯36度東経152度10分で敵飛行機発見を報告[10]。次いで敵空母発見も報告(6時50分)[11]。約30分間で合計6通の報告を行った後消息を絶った[12]。「第二十三日東丸」は日本本土空襲を企図して接近中であったアメリカ艦隊(空母 エンタープライズ、ホーネットなど)と遭遇し、撃沈されたのであった。6時41分、アメリカ艦隊の中の一隻、軽巡洋艦「ナッシュヴィル」は60から100トン、全長21メートルの漁船を発見[13]。砲撃許可を求め、許可を得られると6時53分に砲撃を開始したが、命中するまでに29分の時間と6インチ砲弾915発を消費した[14]。こうして沈められたのが「第二十三日東丸」であり、7時23分に沈没[15]。生存者2名が確認されたものの「ナッシュビル」到着前に沈んでしまっており[14]、艇長中村盛作兵曹長以下乗員14名全員戦死となった[16]。

後日、日本海軍は「第二十三日東丸」に対し感状を授与した(昭和18年3月15日附)[17]。


艇長

  • 中村盛作 兵曹長[1]

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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