第十とよた丸
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1965年(昭和40年)頃より増加した日本産の自動車輸出を担うべく、1965年に日産自動車の完成車を輸送する追浜丸が日立造船桜島工場で竣工した[3]。川崎汽船はトヨタ自動車販売と連携し、1968年11月21日に第一とよた丸を竣工。1969年2月20日と同3月22日には、同型の第二・第三とよた丸が竣工した。これらはばら積み貨物船兼用で、北米太平洋岸に自動車を輸送し、復路では穀物などのばら積み貨物を輸送した[1]。この方法では荷役に要する時間がかかり、復路貨物との配船調整の難しさがあり、自動車業界からはより規則的な配船・運航の要求が高まった。トヨタ自動車と川崎汽船では自動車専用船の必要性を認識し、川崎重工業に対して専用船の開発を求めた[2]。
日本初の自動車専用船となる本船は1969年12月に起工[1]、1970年7月9日に竣工。7月11日に、名古屋港トヨタ埠頭にてトヨタの完成車1958台を積み込み、ロサンゼルスへ向けて処女航海を行った[4]。
Car/Bulk Carrier(自動車・ばら積み兼用船)に対して本船をはじめとする自動車専用運搬船はPCC(Pure Car Carrier)と呼ばれる。本船に続いて同型船の「第十一とよた丸」(川崎汽船・日本汽船共有)「第十二とよた丸」(日本郵船・千代田汽船共有)が順次建造されたが[4]、しばらくは兼用船も建造され続け、徐々にPCCに切り替わっていった。専用船は復路が空荷となるため、運航の経済性を高めるため高速化が図られ、速力20ノットを越える高速船も作られるようになった。大型化も進み、1974年には積載台数6000台を越える「神悠丸」が建造された[5]。
その後の自動車運搬船のあり方に大きな影響を与えたことが評価され、2019年には日本船舶海洋工学会主催の「第3回ふね遺産」に認定された[6]。