大阪府出身。自治医科大学在学中、成人病センターに出入りした経験から公衆衛生に興味を持つ。自治医科大学を卒業後、大阪府に入庁。吹田保健所保健予防課長[2]、四条畷保健所長[3]、健康福祉部地域保健福祉室長[4]、健康福祉部長を経て[5]、健康医療部長。「救急医療体制等(地域医療)の充実」、がん死亡率のワーストレベル返上という観点から「がん対策の充実」、当時急激に社会問題として顕在化した「薬物乱用対策の充実」の3点をマニフェストに掲げ、重点的に推進した[6]。大阪府を定年退職後、大阪府こころの健康総合センター所長[7]。