笹山洋一
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小学3年の時に野球を始める[1]。中学時代に宮崎県で初となる全中優勝を果たし、そのメンバーのほとんどが進学した小林西高では1年秋に県大会ベスト4、2年秋も県大会ベスト4となり3位決定戦で完封勝利したが九州大会は1回戦で敗退。3年生になるとエースで4番を務め、宮崎県大会では1人で6試合を投げ抜くとともに打率.500を記録し[2]、1993年の夏の選手権に同校は初出場を果たした。選手権大会では学法石川との1回戦で逆転サヨナラとなる二塁打を放ち[3]、長崎日大との2回戦では1失点完投で中村隼人に投げ勝っている。準々決勝で金子誠のいる常総学院を相手に延長10回を完投したが、3対6で敗れた[4]。
選手権大会後には高校選抜チームの一員としてヨーロッパ遠征に参加した[5]。潜在能力の高さなどが評価され[6]、同年11月20日に開催されたプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受ける[7]。同年12月11日、契約金5500万円、年俸540万円(いずれも推定額)で仮契約を締結した[8]。プロでは打者転向も声もあったが本人の希望により投手での入団となった。1995年は一軍で3試合に登板して自責点0だったが、翌1996年は右肘靭帯故障のため一軍登板できずにシーズンを終えた。同年10月10日に中日からに戦力外通告を受け[9]、福岡ダイエーホークスの入団テストを受験するが、不合格に終わった[10]。同年11月、かねてから中日の二軍に出入りして球拾いや打撃投手などの手伝いをしていた橋本公雄が社長を務める総合商社・株式会社KIMのクリーニング部門に入社することが内定、中日の選手のユニフォームなどの洗濯業務を担当することになり、仕事と並行して他球団の入団テスト受験を目指すと報じられた[10]。