等賢同山

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時代 室町時代中期 - 後期
 
等賢 同山
時代 室町時代中期 - 後期
生誕 寛正6年7月20日1465年8月11日
死没 文明15年3月24日1483年4月30日
幕府 室町幕府
氏族 足利氏足利将軍家
父母 父:足利義政、母:茶阿局
兄弟 等賢同山義尚義覚、ほか
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等賢 同山(とうけん どうさん)は、室町時代中期から後期にかけての臨済宗の僧。足利将軍家の一族。

寛正6年(1465年)7月20日、室町幕府の8代征夷大将軍足利義政の四男として[1]、御産所である小串政行の屋敷で誕生した[2]。母は側室の茶阿局(二階堂政行の被官・三富氏の親類)であった[2]

義政にとっては待望の男子であったが、9代将軍となる足利義尚が数ヶ月後に誕生したため、後継者の地位を外された[2]。そのため、伊勢邸ではなく、烏丸資任の屋敷に入れられた[2]

文正元年(1466年)4月、天龍寺香厳院の院主になり、等賢同山と号した[3]

文明15年(1483年)3月24日、等賢は19歳の若さで死去した[4]。死後、足利政知の次男である清晃(後の足利義澄)が伊豆より上洛し、新たな香厳院主となった[5]

脚注

参考文献

関連項目

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