等賢同山
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寛正6年(1465年)7月20日、室町幕府の8代征夷大将軍・足利義政の四男として[1]、御産所である小串政行の屋敷で誕生した[2]。母は側室の茶阿局(二階堂政行の被官・三富氏の親類)であった[2]。
義政にとっては待望の男子であったが、9代将軍となる足利義尚が数ヶ月後に誕生したため、後継者の地位を外された[2]。そのため、伊勢邸ではなく、烏丸資任の屋敷に入れられた[2]。
文正元年(1466年)4月、天龍寺香厳院の院主になり、等賢同山と号した[3]。
文明15年(1483年)3月24日、等賢は19歳の若さで死去した[4]。死後、足利政知の次男である清晃(後の足利義澄)が伊豆より上洛し、新たな香厳院主となった[5]。