米地文夫
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研究
米地は、1888年の磐梯山噴火について、1980年代を中心に新たな史料の掘り起こしなどを行ない[5]、それまでの通説とは異なり、この噴火が大規模な爆発ではなく、小規模な水蒸気爆発とそれによって引き金を引かれた多段階的な山体崩壊であったとする「多段階崩壊仮説」を提示した[6]。一連の研究成果は、2006年に『磐梯山爆発』にまとめられた。
1990年代以降、米地は、志賀重昂『日本風景論』(1894年)を批判的に検討する、共著を含めた一連の論文を発表し、その政治性を検討するとともに[7]、富士山の美についての数学的言及に剽窃が含まれていることを具体的に指摘した[8]。
また、同時期からは、宮沢賢治に関する論文も継続的に発表しており、作品中の架空の事物と、現実の地理的事象との結び付きについて様々な仮説を提起している[9][10]。