淳仁朝の天平宝字5年(761年)頃治部少丞を務めている。光仁朝初頭の宝亀2年(771年)従五位下に叙せられ、のち右衛士佐に任ぜられる。光仁朝後半は宝亀7年(776年)従五位上・春宮亮兼丹波守、宝亀8年(777年)美濃守に叙任された。
天応元年(781年)春宮亮として仕えた山部親王の即位(桓武天皇)後まもなく左中弁に抜擢され、同年中に正五位上・右中弁兼右兵衛督、天応2年(782年)従四位下・参議兼中宮大夫と急速に昇進を果たして公卿に列した。延暦3年(784年)正月に従四位上に叙せられ、3月には備前守を兼任するが、同年4月19日卒去。享年60。最終官位は参議中宮大夫従四位上。