天平12年(740年)外従五位下に昇叙され、翌天平13年(741年)上総守に任ぜられる。天平17年(745年)内位の従五位下に叙せられ、翌天平18年(746年)大学頭次いで少納言に任ぜられる。
天平勝宝元年(749年)孝謙天皇の即位後間もなく主税頭に任ぜられ、淳仁朝の天平宝字6年(762年)には智部少輔に補せられている。
称徳朝では東海道巡察使・式部大輔などを歴任した。神護景雲2年(768年)各道の巡察使から言上がなされた際、東海道巡察使として以下の施策を建言し、許可されている[1]。
- 寺社の封戸に対しても、時には公民と同様に租税減免を行うこと。
- 平城京へ舂米(白米)を運搬する際に、雑徭に代わって馬を差し出し、馬を引く者だけに食料が支給されるようになっている。貧しい者は馬の供用ができないために、食料の支給がないままに舂米を運ぶ状況となっている。従って、以前の通り舂米を運ぶ人ごとに食料を支給すべき。
- 下総国の井上・浮嶋・河曲の3駅、および武蔵国の乗潴・豊嶋の2駅は東海道・東山道の両方に繋がる駅で、公使の送迎が頻繁に行われるため、本来は小路の駅であるが中路の東海道・東山道の駅に準じて駅馬10頭を設置すべき。