紀斉名
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橘正通に師事して紀伝道を学び[1]、永延年間(987年~989年)に尾張掾在職中に対策に及第する。
長徳年間(995年~999年)大内記を務めるが、この間長徳2年(996年)に発生した長徳の変における藤原伊周らの配流宣命や[2]、宋国返牒などを書いている。長徳3年(997年)対策の判者を務めた際に、一旦及第が決定していた大江時棟の漢詩に対して瑕疵ありとして落第させる。これにより、時棟の養父であった大江匡衡と省試論争を起こした[3]。同年より文徳朝から冷泉朝までの9朝の漢詩を『扶桑集』として編纂するが、これは斉名の生前には完成せず、斉名が没した翌年の長保2年(1001年)に斉名の妻から左大臣・藤原道長に献上されている[4]。