一時官位を剥奪されていた(藤原仲麻呂の乱への連座か?)が、宝亀2年(771年)本位の従五位下に復し、宮内少輔に任ぜられる。翌宝亀3年(772年)伊豆守に任ぜられると、宝亀5年(774年)にも再任されている。宝亀8年(777年)大蔵少輔に転じると、翌宝亀9年(778年)従五位上・造宮大輔と光仁朝末にかけて京官を務めた。
天応元年(781年)正五位下・宮内大輔に叙任されると、延暦2年(783年)正五位上、延暦5年(786年)従四位下と桓武朝初期に順調に昇進を果たす。のち、左大舎人頭・大膳大夫を歴任している。