紫式部日記
紫式部によって記された日記
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概要
作品の中心は、彰子の里邸であった土御門邸を舞台とする出産前後の緊張と祝賀、行幸、産養などの宮廷儀礼の記録である。加えて、女房たちの人物評や自己省察を含む「消息文」と呼ばれる書簡体・随想的部分が挿入され、記録性と内省・批評性が併存する点が特徴とされる。[4]
成立と作品の性格
記述対象の時期・舞台
辞典類では、寛弘5年(1008年)後半の記事が分量の中心で、寛弘6・7年の記事は断続的であることが指摘される。[1][2] また、岩波文庫校注本の解説要約では、寛弘5年夏頃から約1年半ほどの出来事と消息文から成る趣旨が述べられる。[5]
日次ではない点/構成上の特徴
『紫式部日記』は日次の連続記録ではなく回想録的にまとめられた作品とされ、消息文的部分や年時不明の断片が入り込む配列の問題、現存形態が執筆当初の姿をどこまで伝えるか等をめぐり議論がある。[1][2]
題名・作者帰属
宮内庁書陵部の目録では「紫日記」として登録され、「一名:紫式部日記」とされる。[3] 作者名が本文に直接現れないこと、題名の揺れがあることなどから、作品名・作者帰属の扱いは伝承・伝本の事情を踏まえて説明される。[1]
内容
構成
辞典類では2巻構成とされ、日記的記述と消息文的部分から成る点が共通して説明される。[4]
伝本・本文
受容と研究
史料・文学作品としての位置づけ
宮廷儀礼・生活の精細な記録であると同時に、観察と人物把握、内省・批評を備えた記録文学として高く評価されることがある。[1][2]
『源氏物語』研究との関係(最古級言及)
宮内庁書陵部の展示解説では、寛弘5年11月1日の条において藤原公任が「若紫」に触れる場面が紹介され、これが『源氏物語』に関する最も古い記録である旨が述べられている。[6] 同趣旨は、東京国立博物館の解説記事でも言及されている。[10]
「古典の日」と源氏物語千年紀
2008年11月1日に京都で「古典の日」宣言が行われたことが、推進団体の沿革として示されている。[11] その後、「古典の日に関する法律」により、古典の日は11月1日と定められた。[12]
近世以降の研究史(概説)
近世には『源氏物語』注釈・作者論の文脈で『紫式部日記』が参照され、安藤為章『紫女七論』を引きつつ論じる研究もある。[13]
関連資料
紫式部日記絵詞(国宝)
『紫式部日記』を題材とする絵画資料として、文化庁の国指定文化財等データベースは「紙本著色紫式部日記絵詞〈絵三面/詞三面〉」を国宝(1956年指定)として掲げ、五島美術館(東京都)所蔵であることを示している。[14]