細井宗一 From Wikipedia, the free encyclopedia 細井 宗一(ほそい そういち、1918年1月2日 - 1996年12月26日)は、労働運動家[1]。 新潟県糸魚川市出身。陸軍士官学校卒業[1]。陸軍では後に内閣総理大臣を務める田中角栄の上官だった。共に新潟出身で1918年(大正7年)年生まれという共通点があり堅い友情に結ばれていた[2]。終戦時は関東軍第5軍司令部付陸軍中尉であった[3]。 シベリア抑留を経験した。日本に引き揚げた後に日本国有鉄道(国鉄)に入り、国鉄労働組合(国労)へ加入した。1952(昭和27)年国労本部中央委員に就任。岩井章と共に国労内の日本共産党系勢力を指導した。1957(昭和29)年の新潟闘争で国鉄を解雇された[1]。その後は総評反主流派の中核的な論客となったり[1]、現場協議制度を国鉄で行ったり[2]、国労新綱領の策定を指導したりした[1]。1996(平成8)年12月26日に78歳で亡くなった。 著書 『労働運動組合幹部論』学習の友社、1971年。 注釈 1 2 3 4 5 コトバンク2021.5.24閲覧 1 2 【著者に訊け】牧久氏 国鉄分割・民営化を描いた作品語る2021.5.24閲覧 ↑ 松原慶治編『終戦時帝国陸軍全現役将校職務名鑑』戦誌刊行会 、1985年、628頁。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks