細川利愛
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細川 利愛(ほそかわ としちか)は、肥後新田藩の第8代藩主。
生涯
四男・倫親
四男の倫親は利愛が41歳のときの子で、「四十二の二つ子」の風習(男の大厄である42歳の時に2歳になる男児は親を殺すと言い伝えから養子に出す習わし)により、細川家の家老・緒方十左衛門の養子となった[1]。その際、倫親には終身5人扶持と年5両の衣服料が細川家から下賜されるとの約束がなされ実行されていたが、明治4年(1871年)の廃藩置県を契機に、三男で細川家当主の細川利永はその約束を反故にして倫親への扶助を打ち切ったため、生活困窮に陥った倫親は3人の娘を奉公に出した[1]。そのうちの一人が宮武外骨の女中(のちに妻)となり、窮状を見かねた外骨は倫親への支払いを利永に訴え出るという騒ぎを起こした(細川家事件)[2]。