細川持春 室町時代前期から中期の武将・歌人。備中浅口郡、伊予宇摩郡分郡守護。細川野州家2代。民部少輔、下野守。子に細川賢春。 From Wikipedia, the free encyclopedia 細川 持春(ほそかわ もちはる)は、室町時代前期から中期にかけての武将・歌人。備中国浅口郡、伊予国宇摩郡分郡守護。細川野州家2代当主。 時代 室町時代前期 - 中期生誕 応永7年(1400年)死没 寛正7年2月10日(1466年2月24日)別名 六郎概要 凡例細川持春, 時代 ... 凡例細川持春時代 室町時代前期 - 中期生誕 応永7年(1400年)死没 寛正7年2月10日(1466年2月24日)別名 六郎戒名 玉林院殿常忻官位 民部少輔、下野守幕府 室町幕府 備中浅口郡、伊予宇摩郡分郡守護主君 足利義教氏族 細川野州家父母 父:細川満国子 教春、政国、賢春テンプレートを表示閉じる 生涯 細川満国の子として誕生。父の跡を受け、伊予宇摩郡守護となる。しかし同郡の国人は持春に心服していなかったらしく、永享3年(1431年)9月、6代将軍・足利義教に対し、宇摩郡に逃げた国人2名の討伐を申し出、許可を得て出陣の準備をしている(『満済准后日記』による)。嘉吉の乱に遭遇した際には、その場に踏みとどまり奮戦したものの片腕を切り落とされる重傷を負う。 足利義政の御供衆であったとされる[1]。 よく和歌を詠み、その作品は『新続古今和歌集』にも収められている。寛正7年(1466年)2月10日没。享年67。 系譜 父:細川満国 母:不詳 室:不詳 男子:細川教春 男子:細川政国(1428-1495) - 細川持賢の養子 男子:細川賢春 子・政国は、典厩家初代細川持賢の養子となり、典厩家(摂津分郡守護)を継いでいる。また教春の子孫には、高国、稙国、晴国、通薫等がいる。 出典 [1]「細川之系図」 参考文献 今谷明・藤枝文忠編『室町幕府守護職家事典〔下〕』(新人物往来社、1988年) 今谷明 『足利将軍暗殺―嘉吉土一揆の背景』(新人物往来社、1994年) Related Articles