細川鉅 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 1895年6月21日 日本・広島県比婆郡東城町(現・庄原市)死没 没年不明国籍 日本出身校 京都帝国大学法科大学政治経済学科ほそかわ つよし細川 鉅生誕 1895年6月21日 日本・広島県比婆郡東城町(現・庄原市)死没 没年不明国籍 日本出身校 京都帝国大学法科大学政治経済学科職業 実業家肩書き 帝国潤滑油社長配偶者 幸世(妻)子供 則人(長男)多聞(次男)潤(三男)洸(四男)親 細川平左衛門(父) テンプレートを表示 細川 鉅(ほそかわ つよし[1]、1895年(明治28年)6月21日[2][3] - 没年不明)は日本の実業家である。野村證券に務めた後、野村財閥直系・航空用ガソリンメーカーであった帝国潤滑油社長を務めた。広島県庄原市出身[3]。 生い立ち 1895年(明治28年)広島県比婆郡東城町(現:庄原市)[3]の細川平左衛門の次男として出生する[1]。1908年(明治44年)地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、1914年(大正3年)に同校を卒業する。その後、岡山市にある旧制第六高等学校へ進学する[4]。1918年(大正6年)に同校を卒業する[5]。同年、京都帝国大学法科大学政治経済学科へ進学[6]。1921年(大正9年)京大を卒業する[7]。 大学卒業後 卒業後、すぐに広島県の実家である細川医院で勤務する[7]。実家で事務員として約3年程度勤務した後、大阪に本社を構える藤本ビルブローカー銀行へ転職する。同社の神戸支店支配人代理となる[8]。1927年(昭和2年)に野村證券へ転職する[3]。同社では、東京支店の金融課長調査役を経て、次長となり、1941年(昭和16年)46歳で東京支店経理部長となる[1]。 1943年(昭和18年)10月に野村財閥が帝国潤滑油を設立する。同社は航空用ガソリンメーカーであり、この時、日本は第二次世界大戦中でもあり、航空機の燃料重要が高まっていた。この会社の社長に、当時野村證券東京支店の部長であった細川が指名される[9]。大戦終了後も、同社の社長を1950年(昭和25年)55歳まで務めた[10]。 定年退職後は、繊維メーカーであった廣橋蚊帳合名会社の監査役となる。1970年(昭和45年)75歳まで務めていた。 脚注 1 2 3 人事興信録 第14版 下『ホ之部』14頁, 人事興信所 編, 1943年 ↑ 法人個人職業別調査録 第7版, 国際探偵社 編 国際探偵社, 昭11年 1 2 3 4 帝国大学大観 456頁, 帝国大学学友会 編, 昭14年 ↑ 第六高等学校一覧 自大正5至6年 197頁, 第六高等学校 編 ↑ 第六高等学校一覧 自大正6至7年 276頁, 第六高等学校 編 ↑ 京都帝国大学一覧 自大正6年 至大正7年 287頁, 京都帝国大学 編 1 2 帝国大学出身録 1361頁, 原田登 編, 帝国大学出身録編輯所, 大正11年 ↑ 日本紳士録 31版, 交詢社 編, 昭和2年 ↑ ダイヤモンド会社要覧 昭和24年版 88頁, ダイヤモンド社 編, 昭和23年 ↑ 油脂年鑑 1949年版, プランゲ文庫, 桔梗久治 1949年 Related Articles