紺屋関駅
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- 1902年(明治35年)
- 1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定により、大津線の駅となる[6]。
- 1910年(明治43年)3月15日:旅客営業を拡大し、他路線からの乗客も降車可能となる[5]。
- 1913年(大正2年)3月1日:大津線の旅客営業が廃止され、貨物支線として東海道本線に編入される[6]。これに伴い、旅客駅の当駅は廃止される[2]。
なお、大津線の旅客営業廃止以前より大津電車軌道(現・京阪石山坂本線)が同区間の貸下げを鉄道院に請願しており、1912年(明治45年)5月1日にそれが認可され、線路共用が決まっていた。同社線の開業は大津線が貨物線に変更された日と同じ1913年(大正2年)3月1日であり、この日をもって当該区間の旅客営業が鉄道院から大津電車軌道に移った形となった[7]。当駅付近には紺屋ヶ関停留所が設けられたが、1943年(昭和18年)11月10日に廃止されている[8]。紺屋ヶ関の名は現在でも京阪石山坂本線の踏切名として残っている[9]。
利用状況
『滋賀県統計全書』によると、年間乗降人員は以下の通りである。
| 年度 | 乗車人員(人) | 降車人員(人) | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1902年度 | 18,179 | 11,155 | [10] |
| 1903年度 | 19,610 | 8,995 | [11] |
| 1904年度 | 8,514 | 3,373 | [12] |
| 1905年度 | 6,337 | 3,311 | [13] |
| 1906年度 | 6,814 | 1,962 | [14] |
| 1907年度 | 11,951 | 3,653 | [15] |
| 1908年度 | 18,014 | 7,286 | [16] |
| 1909年度 | 22,315 | 8,348 | [17] |
| 1910年度 | 26,828 | 11,285 | [18] |
| 1911年度 | 23,547 | 13,142 | [19] |
| 1912年度 | 17,053 | 16,054 | [20] |