結城林蔵
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『幕末明治の写真師 総覧』によれば、新潟県六日町(現在の南魚沼市)の出身である[4]。昭和9年版(1934年)の『日本人事名鑑』記載の「結城林蔵」の項によれば、慶応2年2月(西暦1866年3月下旬または4月上旬)新潟県の久保田勘治の二男として出生し、明治19年(1886年)同県農業学校を卒業。結城義節の養子となり養父義節の二女とめと結婚して(養子・結婚の時期は不明)結城家の家督を明治28年(1895年)に相続している[5]。
結城の卒業した新潟県農業学校がいかなるものかは不明。因みに、旧制新潟県立農林学校は1903年の創立とされていて該当しない[6]。ところが、『幕末明治の写真師 総覧』によれば、1984年(明治17年)18歳の頃に、長岡町(現在の長岡市)に移転してきた県営農業試験所兼農業教育機関である「新潟勧農場」に入学、卒業後の1888年(明治21年)に参謀本部陸地測量部に入り、そこで写真および製版技術を習得したとある[4]。また、同『総覧』によれば、新潟勧農場とは、後の新潟県農学校(農業学校ではない)であり、現在の新潟県農業総合研究所[7]であると紹介している[4]。
