綴方教室
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『綴方教室』(つづりかたきょうしつ)は、1930年代に、鈴木三重吉の影響下で教育運動として盛んになりつつあった生活綴方運動の中で、東京下町の小学校教師大木顕一郎の指導・編集・解説で出版された当時、本田小学校4年の豊田正子の26篇の「綴方」(雑誌『赤い鳥』掲載)を収め、1937年に出版された本の題名。

現在の岩波文庫版(山住正己編、1995年、ISBN 4-00-332001-8)には、続編『続綴方教室』『粘土のお面』に収録された文章も10編合わせて収録されている。
出版されるや否や、当時の大衆の生活を素直な子供らしい視点で描いたことが話題になり、大ベストセラーとなる。戦後にも無着成恭らの「綴り方教育」に多大な影響を与えた。
翌1938年3月6日から3月20日まで新築地劇団が舞台化し、8月には東宝で山本嘉次郎監督によって映画化されて評判になった。
映画
1938年
山本嘉次郎監督は、ドキュメンタリー風な造りを意識し、ドラマ的要素を出来る限り排して、「ロケーション」を多用し、良質な佳作に仕上げている。昭和13年。東京市葛飾区四つ木が舞台である。
映画化の際、撮影所を訪れた豊田が「高峰が女工を見下した発言をしていた」と書いたことに対し、高峰が内容証明でそれに反論する騒ぎもあった。
キャスト(人物)
スタッフ
あらすじ
豊田正子は、東京・葛飾区の貧民街で両親と弟2人と暮らす小学6年生の少女。ブリキ職人として働いていた父親の由五郎は、住んでいる長屋からの立ち退き通告書が届いた為、正子と弟に学校を辞めて奉公に出るよう勧めるのだが、父親は、通告書を正しく読むことができない。
授業では、正子は担任の大木先生の教えに従い、日記を書き直す。正子が勉学に励む一方で、家庭環境は不安定で、母親のお雪は文房具を買うのをためらい、父親は返済計画に同意した後、酔っ払って帰宅する。
大木先生は妻に正子の文章を読んで、父親が鶏を捕まえて屠殺するために「下駄を直すような恰好」といった、創造的で観察力に富んだ言い回しをしてると語る。夏休みの間、豊田家は近所の住人からウサギをもらうが、そんな住人は大家の梅本をけちだと非難する。正子はウサギの飼育体験について作文を書き、児童雑誌『赤い鳥』に掲載される。
やがて掲載された作文には、梅本家に関する悪口とされる記述が含まれていたことから、梅本が地元に影響力のある実力者であることを大木先生は知る。梅本のおばさんは、娘を辱めたとして正子を問い詰める。正子の母親のお雪も、梅本から仕事を貰っている父・由五郎が仕事を失うことを心配し、正子を叱る。
罪悪感に苛まれた大木先生は、作文の内容について責任を取るため、豊田家と梅本家を訪ねる。梅本が豊田由五郎への仕事を止めたことを知り、作文を教えたことを後悔する。豊田家は、自転車を盗まれたり、連日の大雨で父親のブリキ職人としての仕事が無くなって日雇い仕事を始めたりと、相次ぐ不運に見舞われ、配給に頼らざるを得ない状況に陥る。大晦日、由五郎は酔っ払って帰宅し、借金の返済で騙されたと。自身の甘さと正直さを嘆いて、包丁を持って殺しに行こうとしたのを近所の人に取り押さえられる。
正子の母のお雪は、正子が再び学校を辞めて芸者になるという話を持ち出すが、正子はそれを拒否する。学校では、大木先生が正子があまりにも落ち込んで、作文を発表しないことを心配し、正子を励ますが。正子の作文を読んで実情を知り、また正子は泣き崩れる。大木先生が妻と正子のことを話している間、お雪が家を訪れ、由五郎に安定した建設業の仕事が来たことと、貸してもらった御金の返却と共に感謝を伝える。
正子は小学校の卒業式に参加する。大木先生や同窓生たちと歩きながら、近くの工場で働くことや、これからも執筆を続けたいと語る。
1961年
「「粘土のお面」より かあちゃん」 新東宝映画制作配給。「綴方教室」の続編「粘土のお面」の映画化。1961年3月15日公開。
キャスト
スタッフ
- 監督…中川信夫
- 脚本…館岡謙之助