Wikiwand AI

菅井きん

日本の女優(1926−2018) From Wikipedia, the free encyclopedia

菅井 きん(すがい きん[1][2][3]、1926年〈大正15年〉2月28日[1][3][4] - 2018年〈平成30年〉8月10日[5][6][7])は、日本の女優。血液型はB型[8]。身長155cm、体重45kg。特技は三味線。生前は仕事に所属していた。本名は佐藤 キミ子[8][9]。旧芸名及び旧姓名は須斎 キミ子[8][9]。

本名 佐藤 キミ子(さとう きみこ)
別名義 須斎 キミ子(すさい きみこ)
生年月日 (1926-02-28) 1926年2月28日
没年月日 (2018-08-10) 2018年8月10日(92歳没)
概要 すがい きん 菅井 きん, 本名 ...
すがい きん
菅井 きん
菅井 きん
早川書房『悲劇喜劇』第11巻7月号(1957)より
本名 佐藤 キミ子(さとう きみこ)
別名義 須斎 キミ子(すさい きみこ)
生年月日 (1926-02-28) 1926年2月28日
没年月日 (2018-08-10) 2018年8月10日(92歳没)
出生地 日本の旗 日本・東京府東京市牛込区[注釈 1]
死没地 日本の旗 日本・東京都
身長 155 cm
血液型 B型
職業
ジャンル
活動期間 1947年 - 2010年
配偶者 佐藤正之(1996年、死別)
事務所 株式会社仕事
主な作品
テレビドラマ

映画
受賞
日本アカデミー賞
最優秀助演女優賞
1985年『お葬式』
『必殺! THE HISSATSU』
その他の賞
ヨコハマ映画祭
助演女優賞
1985年『お葬式』
報知映画賞
最優秀助演女優賞
1984年『お葬式』
勲四等宝冠章(1996年)
紫綬褒章(1990年)
テンプレートを表示
閉じる

生涯

東京府東京市牛込区早稲田町出身[8]。

本村小学校、頌栄高等女学校卒業[8]。

1943年から第二次世界大戦終戦直後までに、男性職員出征のため、文部省総務課調査課[1][10]・東京帝国大学学生課で事務職員として勤めていた[3][10]。1946年3月、有楽座で東京芸術劇場の第1回公演『人形の家』を鑑賞したことがきっかけで同劇団の研究生に応募し[10][9]、補欠合格となる[9]。両親はともに芝居好きであったが、劇団研究生に応募することを相談した際、「女優とは美しい女性がなるものだ」と反対されたが、義理の兄が理解者となり両親も渋々ながら認めたとされる[10]。父は娘の出演作品を見ることなく1971年頃に死去している[9]。1947年2月に帝国劇場で上演された『林檎園日記』のトメ役が初舞台となるが、公演の初日に楽屋で寿司を食べていて出トチリをしてしまい、岡倉士朗に激怒された[10]。芸名の「菅井きん」は、本名(当時は旧姓)をもじったものであり、初舞台の作者である久保栄に付けてもらった[10][9]。芸術劇場解散後、久保栄の紹介で劇団俳優座に入団して舞台に立つ[1][3][10]。1959年に俳優座を退団[8]。にんじんくらぶに所属し、1965年のにんじんくらぶ分裂後は、劇団欅の結成に参加した後、株式会社仕事に所属した。

新劇時代に映画女優としてスカウトされ、1951年に『風にそよぐ葦』でデビュー[3]。

1968年、木下惠介制作・脚本の『おやじ太鼓』に出演。個性的なリアリティあふれる家政婦役を演じ、番組の支柱となる。様々な木下恵介アワーに起用され、木下惠介監督映画に最終作品まで呼ばれることとなる。

1973年、『必殺仕置人』の主要人物・中村主水を「婿殿!」といびる姑・中村せん役で出演[3]。その後も必殺シリーズ(主水シリーズ)に必ず登場し、シリーズを語る上で欠かせない存在となり、この役によって現在の地位を築く(曰く「初めての苗字がある役だった」)。が、この役があまりに有名になり、「せん役のイメージのせいで、娘の縁談に支障が出る」と降板を願い出たこともある(無事に娘が結婚したため、降板願いは撤回されたという。詳細は必殺シリーズ#中村主水の主人公問題も併せて参照)。役を引き受けるにあたり「婿殿!」とイビるのに、どうやったら憎々しく聞こえるかの研究を重ねたという。

同年、『太陽にほえろ!』には松田優作演じる柴田純(ジーパン)刑事の母・柴田タキ役で出演。夫を亡くして女手一つで息子を育て上げ、息子も大の母親思いという理想的な親子を演じきった(松田は最終的に殉職という形にて1年で番組を卒業するものの、菅井は、その後も同役でゲスト出演している)。

1980代に入ってからも女優業を精力的にこなし、1994年のテレビドラマ『家なき子』での「鬼婆演技」で話題になった。

藤商店のCMにも起用されていた。ただし、本人曰く「料理は大の苦手」であった。

夫は映画『砂の器』『八甲田山』などに携わった劇団俳優座出身の映画プロデューサーの佐藤正之で、流産を経験後に佐藤との間に一女を儲けた。佐藤が亡くなった1996年以降は娘夫婦と一緒に暮らし、2014年の時点では曽孫もいた[11]。

バラエティー『タモリのボキャブラ天国』では、当時高齢だったにもかかわらず「菅井ダイビング」という投稿者のネタを再現するためだけにスカイダイビングを経験、既に大ベテランの地位を得ていた菅井の体を張ったギャグは当時の視聴者や番組内のパネラーらに衝撃を与えた[12]。『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』等のコント番組にもレギュラー出演していた。また、若い頃から老け役をやっていたことを度々ネタにされた。

2008年に製作された映画『ぼくのおばあちゃん』では82歳にして映画初主演を果たし、世界最高齢映画主演女優としてギネスに申請し認定された[13][14][注釈 2]。2009年には資生堂のCM「ウーノ フォグバー」でエリザベス女王に扮装して若手俳優と共演した。

しかし2010年にNHK大河ドラマ『龍馬伝』[6]及び映画『瞬 またたき』に出演したのを最後に、女優として事実上引退した。 菅井が芸能活動を休業してから4年後の2014年に一部週刊誌が「菅井の知人による情報」として、「菅井は重度の認知症を患っており、現在は特別養護老人ホームに入居している」「芸能界を引退したわけではなく、リハビリを行い体力が戻れば仕事復帰も考えている」などと報道されたが[11]、 2014年10月2日にフジテレビの情報番組『ノンストップ!』に出演し4年ぶりにインタビューに応じるなど公の場に元気な姿を見せ、「認知症」であることを否定した[15]。菅井によると、2010年に自宅で転倒して大腿骨を骨折してしまい、一時高齢者向け施設で療養するなど、それ以来自分の足では歩けなくなったためであるとのことであった。リハビリに努めてはいるものの、仕事復帰は諦めていると語っていた[15]。この出演が公の場での生前最後の姿となった[16]。生前は大の愛煙家で亡くなる2週間前まで煙草を吸っていたと親族や関係者が語っており、生前最後のインタビュー時にも実際に喫煙しながらインタビューに応じていたほどであった。

2018年8月10日午後2時頃、心不全のため、東京都内の自宅で死去[5][6][7]。92歳没。戒名は藝凛院慈雲公錦大姉[17]。

出演

映画

テレビドラマ

NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京
朝日放送
毎日放送
関西テレビ

ラジオドラマ

舞台

テレビ番組

CM

受賞歴

著作

  • 『わき役ふけ役いびり役 女優一筋四十五年』主婦と生活社、1990年11月

音楽作品

  • おふろのチャップリン(1983年。「ばあ菅井とおとぎっ娘」名義、『鉄矢のとんからりん』より)
    • B面は「きん婆サンバ」(こちらは菅井きん名義)

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks