綾菅麻呂

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綾 菅麻呂(あや の すがまろ、天平宝字元年(757年) - 弘仁12年6月8日821年7月10日))は、奈良時代から平安時代初期にかけての人物。のち朝臣官位従五位下阿野郡大領

綾氏は日本武尊の子である武卵王(建貝児王)の後裔を称する皇別氏族[1]。讃岐綾氏と同じ。讃岐国阿野郡を本拠とし、氏の名は阿野の地名に基づく。君(公)であったが、天武天皇13年(684年八色の姓の制定により、中央に居住していた一族は朝臣姓に改姓した[2]

経歴

讃岐国阿野郡の人。桓武朝延暦10年(791年)以下を言上してから朝臣への改姓を請い、許された(この時の位階正六位上)。

菅麻呂の先祖は文武天皇3年(699年)に朝臣姓を許され、これ以降和銅7年(714年)以前の三度の戸籍ではいずれも朝臣と記されていた。しかし、養老5年(721年)の戸籍作成において、古い天智天皇9年(670年)に作成された庚午年籍に基づたため、朝臣姓が削除されてしまった。このため、三度の戸籍と元の位記に基づいて朝臣姓を賜りたい。

延暦14年(795年阿野郡大領に任ぜられて在任19年に及び、嵯峨朝弘仁4年(813年)頃に従五位下に叙せられたという。嵯峨朝末の弘仁12年(821年)6月8日卒去享年65。

官歴

脚注

参考文献

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