緒方惟勝は熊本藩士の家に生まれ、天保11年(1840年)に出生した。明治5年(1872年)、松岡方祗・増田明道らとともに海軍少佐へ任じられ、正七位を授与された。明治6年(1873年)には従六位に叙せられる。
明治8年(1875年)に締結された樺太・千島交換条約では、領土引き渡し手続の詳細が公文書として十分に残っていない。しかし、同年8月19日、浅間艦長であった緒方少佐が作成した「樺太引渡式次第書」が谷口尚真家資料に残り、式の具体的手順を記録した貴重な一次史料となっている。
明治10年(1877年)、緒方は浅間艦長として西南戦争に出動した。
3月29日、旧延岡藩士・藤田雪が「乗浅間艦記」に記したところによれば、緒方は藤田を浅間に招き、日向国士族の動向や地形・里程などを細かく聞き取り、軍略判断に用いたという。
また、6月9日の臼杵方面作戦では、海軍中佐・伊東祐亨の「薩軍は津久見へ退却する可能性が高い」との判断を受け、即座に錨を上げて津久見へ進出したことが記録されている。
西南戦争における功績により、明治11年(1878年)1月4日に勲四等旭日小綬章を受章した。その後は清輝艦長へ転じ、明治13年(1880年)6月12日に海軍中佐へ昇進。翌13日、39歳で死去した。
墓所は東京海軍埋葬地とされる。
長男・緒方十右衛門はのちに大阪医科大学教授を務めた。