緒方研二 From Wikipedia, the free encyclopedia 緒方 研二(おがた けんじ、1917年 <大正6年> 11月21日 - 2009年 <平成21年> 10月31日) は、日本の技術者。日本電気 (NEC)副社長や、NECエンジニアリング社長、テレビジョン学会会長、電子通信学会会長などを歴任した。従四位、勲二等瑞宝章受章。父は緒方竹虎元副総理。岳父に名和武。 福岡県福岡市出身。東京府立第四中学校、第一高等学校を経て、伊藤庸二の勧めで、1941年東北帝国大学工学部電気工学科を卒業した。在学中大日本帝国海軍委託生となり、1942年海軍技術士官に任官して、横須賀海軍工廠に配属され、横須賀砲術学校に入校した[1]。 タラワ島や、マキン島でレーダーサイトの整備にあたったのち、海軍技術研究所に転属する。日本の降伏後、1945年に逓信院電気試験所に入所し、喜安善市の下で研究に従事した。逓信院→逓信省が1949年に廃止された後は日本電信電話公社に所属した。 1970年に日本電信電話公社電気通信研究所長、日本電信電話公社研究開発本部長となる。1974年に日本電信電話公社総務理事に就任する。 日本電信電話公社を退職後は、1977年に日本電気 (NEC)の専務取締役に就任し、1979年からは副社長を務めた[1]。1981年にはNECの関係会社である日本電気エンジニアリングで社長に就任した。1979年には安藤電気会長も兼ねる。 学会等の諸団体では、1970年に情報処理学会副会長、1976年テレビジョン学会、1978年に電子通信学会の各会長、1980年に日本工学教育協会副会長にそれぞれ就任した[1][2]。1983年にはテレビジョン学会名誉会員、電子通信学会名誉員に選ばれている[1]。1985年東北大学電気系同窓会会長[3]。 東北大学講師、東京工業大学講師、名古屋大学講師、日本学術会議会員なども務めた[4]。 2009年脳出血により目黒区内の病院で死去。円泉寺太子会館で葬儀・告別式が執り行われた[5]。死没日付をもって正七位から従四位に進階[6]。 受賞・栄典 1977年 - テレビジョン学会功績賞、電子通信学会功績賞 1986年 - 前島賞 1987年 - 勲二等瑞宝章[1] 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 5 羽鳥光俊, 永田宇征, 和田正裕, 奥田治雄「悲惨な戦争体験をばねに戦後の通信事業に貢献」『映像情報メディア学会誌』第62巻第12号、映像情報メディア学会、2008年12月、1905-1908頁、doi:10.3169/itej.62.1905、NAID 110006991080。 ↑ 歴代会長情報日本工学教育協会 ↑ 電気系同窓会 歴代会長・副会長電気系同窓会 ↑ 同窓会便り 第18号 東北大学 電気・情報系, 昭和63年2月22日 ↑ 緒方研二氏死去/元日本電電公社総務理事 四国新聞2009/10/31 20:11 ↑ 平成21年 2009年12月7日付 官報 本紙 第5209号 8頁 先代澤村吉克 テレビジョン学会会長1976年 - 1977年 次代瀧保夫 先代大島信太郎 電子通信学会会長1978年 - 1979年 次代斎藤成文 先代高野知彦 東北大学電気系同窓会会長1985年 - 1993年 次代佐藤利三郎 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。表示編集 Related Articles