美川英二
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大阪府三島郡千里村(現:吹田市)出身で吹田市立千里第二小学校を卒業した[3][4]。慶應高校に入学。高校時代よりラグビー部に所属した[4]。1952年に慶應義塾大学法学部に入学し[1]、蹴球部(ラグビー部)に所属した[4]。
大学を卒業した1956年4月より横河電機製作所 (現:横河電機) に入社してからも同社ラグビー部に所属して海外での試合にも出場した[4]。横河電機では測定器及び人事部に所属されてキャリアを積み、人事部長やシステム営業本部長を経て[5]、1976年6月に取締役に就任した[1] が、入社20年目での取締役就任は横河正三に次ぐ2番目の早さであった[3]。
1982年6月に常務取締役、1983年4月に常務取締役兼営業統括部長、1985年7月に代表取締役常務、1986年6月に代表取締役専務、1991年6月に代表取締役副社長を歴任[1]。1993年6月より代表取締役社長に就任した[1]。1983年には常務として北辰電機製作所との合併を手掛け、社長時には山一證券(1997年11月自主廃業)の職員から36歳以上を中心に25名の雇用を受け入れる決断を行った[3]。
1999年6月19日午後1時10分、東京都新宿区の病院で胆管細胞癌により死去した[6]。6月21日に横河電機社葬が行われた[3]。死没日付をもって従四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された[7]。