耳取縄手の戦い
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背景
松平信孝は松平信忠の次男で、松平清康の弟、広忠の叔父にあたる。当初は三河三木城(現・岡崎市上三ツ木町)を拠点とし三木松平と称していた[1]。井田野の戦いでの戦功や、1537年(天文6年)には甥の広忠を岡崎城に復帰させるなど功績があったが、弟の松平康孝の遺領を奪うなどして強大化し、次第に広忠との対立が深まり、1543年(天文12年)に広忠によって領地が奪われた[2](なお、近年では広忠と信孝の関係や失脚の背景について様々な見解が出されている。松平信孝の項目を参照のこと)。信孝は松平忠倫に与して織田信秀と通じ、1548年(天文17年)の小豆坂の戦いで織田が敗れたのち、広忠に対する反乱を起こした[1][2]。