ハンガリー王国の歴史的地域
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解説
その領域は現在のハンガリーのほか、パンノニア平原と重なるような形でオーストリア、スロバキア、ウクライナ、ルーマニア、セルビア、クロアチア、スロヴェニアにまたがっていた。
これらの地域にはハンガリー人(マジャール人)が広く居住し、特に1867年以降のオーストリア=ハンガリー帝国の下ではハンガリー政府の統治下に属したが、1920年のトリアノン条約で解体されてハンガリー王国領は面積にしておよそ3分の1、現在のハンガリー共和国と同じ範囲に縮小した。そこで、これらの地域を大ハンガリー、聖イシュトヴァーンの王冠の地と言うこともある。戦間期のハンガリー王国はこの地域を奪回するために右傾化し、ナチス・ドイツとともに第二次世界大戦に突入していった。
特に、現在ルーマニア領となっているトランシルヴァニア地方はもともとハンガリー王国領であった地で、ハンガリー人とルーマニア人が混在している。民族問題は、1989年のルーマニア民主化革命の発端の一つにもなった。しかし東欧革命後の1996年に締結されたルーマニア・ハンガリー共和国間相互理解・協力・善隣条約により、ハンガリーとルーマニアは現在の国境線を相互に承認し、領土要求を行わないことで合意している[1]。しかしセーケイ地方にてマジョリティを占めるハンガリー系住民(セーケイ人)はルーマニア政府に自治要求を行っている。ただ、旧ユーゴスラヴィアで生じたユーゴスラヴィア紛争のような民族紛争が起こる要素はない。
現行国境による地域区分
現ハンガリー

- アックテレク
- ヴィッラーニ(ヴィーラント)
- ヴィシェグラード(プリンテンブルク)
- ヴェスプレーム
- エステルゴム(グラン)
- エゲル(エルラウ)
- カロチャ
- ケーセグ(ギュンス)
- ケチケメート
- ゲデレー
- コチ
- コマーロム
- ジェール(ラープ)
- ジュラ
- ショプロン(エーデンブルク)
- セゲド
- センテンドレ
- ソルノク
- セント・ゴットハールド(ザンクト・ゴットハルト)
- ソンバトヘイ(シュタイン・アム・アンガー)
- デブレツェン
- トカイ
- ブダペスト
- フェルテード(エステルハーザ)
- ペーチ(フュンフキルヒェン)
- ホッローケー
- ミシュコルツ
- モションマジャーローヴァール(ヴィーゼルブルク(モション)、ウンガリッシュ・アルテンブルク(マジャルオーヴァール))
オーストリア領
スロバキア領
現在のスロバキア領の大半は、かつて北部ハンガリーまたは上部ハンガリーと呼ばれた地域である。
チェコ領
ポーランド領
ウクライナ領
- ザカルパチア(トランスカルパチア、カルパティア・ルテニア)