聖バルバラ (ヤン・ファン・エイク)

From Wikipedia, the free encyclopedia

製作年1437年
種類オーク板にドローイング
寸法41.2 cm × 27.5 cm (16.2 in × 10.8 in)
『聖バルバラ』
オランダ語: De Heilige Barbara van Nicomedië
作者ヤン・ファン・エイク
製作年1437年
種類オーク板にドローイング
寸法41.2 cm × 27.5 cm (16.2 in × 10.8 in)
所蔵アントウェルペン王立美術館アントウェルペン

聖バルバラ』(せいバルバラ(: De Heilige Barbara van Nicomedië))は、初期フランドル派の画家ヤン・ファン・エイクが1437年に描いた小規模なドローイング。日本では『聖女バルバラ』とも呼ばれる。油彩画の習作、下絵として描かれたのか、ドローイングとして単独で成立している作品なのかは意見が分かれている[1]

この作品の本質について、美術史家たちの間で広く議論されてきた[2]。チョークの下地に、筆、スタイラス銀筆を用いて、インク、油絵具、黒色顔料で描かれている。青色やウルトラマリンもみられるが、これらの顔料は後世になってから描き足されたものである[3]。描かれている箇所によって詳細描写に濃淡がみられる。このことも、この絵画がドローイングとして独立した作品なのか、あるいは未完成の絵画作品の下絵なのかという議論の一因となっている。もし当初からドローイングとして制作された作品なのであれば、紙や羊皮紙に描かれたものをのぞくと、現存する最初期のドローイングということになる。いずれにせよ、確実に言えることは、この作品が当時のフランドルで高い審美眼を持った美術愛好家たちの間で極めて高く評価されていたことである[4]

バルバラは3世紀のキリスト教殉教者だったと信じられており、とくにヨーロッパ中世後期に崇敬を集めていた聖人だった。『聖人伝』によると、富裕で非キリスト教徒のディアスコロスが、自身の意に沿わない求婚者たちから娘のバルバラを遠ざけるために、バルバラを塔に閉じ込めた。この幽閉生活の中で、バルバラは招き入れた司祭から密かに洗礼を受けてキリスト教に改宗したが、このことに激怒したディアスコロスに追い詰められ、最後にはディアスコロスの命による斬首刑で命を落とした[5]。バルバラは、ヤン・ファン・エイクと同世代の芸術家たちのあいだで、広くモチーフとして採用された。この時期の重要な作品として、ヤン・ファン・エイクと同じく初期フランドル派の画家ロベルト・カンピンが1438年に描いた『ウェルル祭壇画』などが挙げられる[6]

パネル

出典

関連文献

Related Articles

Wikiwand AI