聖助法親王 南北朝時代の法親王 From Wikipedia, the free encyclopedia 聖助法親王(しょうじょほっしんのう)は、日本の南北朝時代の法親王。年代は前後するものの、ほぼ同時代に同名の法親王が南朝方と北朝方の双方にいた。 聖助法親王(生没年不詳) - 南朝後醍醐天皇の皇子。母は正三位菅原在仲女・少将内侍。出家後天台宗寺門派聖護院に入り、のちに門跡。建武2年(1335年)親王宣下。 聖助法親王(応安4年(1371年)- 没年不詳) - 北朝後光厳天皇の第十一皇子。母は正親町三条実継女実ハ法印長快女・左京大夫局(伯耆局)。永徳元年(1381年)天台宗山門派青蓮院で出家、至徳3年(1385年)に一身阿闍梨。 参考文献 Summarize Top Qs Fact Check デジタル版 日本人名大辞典+Plus『聖助法親王(1)』 - コトバンク(2017年7月10日閲覧) デジタル版 日本人名大辞典+Plus『聖助法親王(2)』 - コトバンク(2017年7月10日閲覧) この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。表示編集 このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。 Related Articles