聖断
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概要
かつてあったとされる「聖断」
- 王政復古の大号令[要出典]…明治天皇が慶応3年12月9日(1868年1月3日)に勅諭を発し、12月14日に諸大名に、16日に庶民に布告された。天皇親政・公議政治の名分の下、新政府を樹立するものであった。
- 征韓論の裁定…西郷隆盛の朝鮮への派遣についての裁定。この裁定は西郷らの下野につながった(明治六年政変)
- 日支郵便約定処理問題・・・九カ国条約にともなう支那からの郵便局撤去に関して生じた枢密院・外務省・内閣を巻き込む政争に、摂政時代の昭和天皇が判定を下した事例[1]。
- 二・二六事件…昭和天皇は反乱将校たちに激怒し、徹底した武力鎮圧を命じている。天皇自ら近衛師団を率いて鎮圧に当たると述べたとされる。
- ポツダム宣言受諾…1945年(昭和20年)8月9日から10日(及び14日)、ポツダム宣言の受諾を巡って御前会議が紛糾した際に、昭和天皇自ら受諾の決断を下したとされる。「聖断」といえばほとんどこの例を指す。
昭和天皇の政治関与について
昭和天皇は立憲君主としての役割を自認していたとされ、即位以来、政治に大きく関わることは比較的少なかったとされている。
しかし田中義一内閣の時、昭和天皇が田中義一首相の言動に対して懐疑的になり、侍従長に「田中総理の言ふことはちつとも判らぬ」という言葉を発した。これが田中に伝わり、田中は『恐懼に堪えない』として、内閣総辞職した。この事件を、上記の例に並んで、天皇が政治に関わったとされることがある(→張作霖爆殺事件)。