聖断 From Wikipedia, the free encyclopedia 聖断(せいだん)とは、「天子(天皇)の裁断」のことである。なおこれには法的規定などはなく、あくまで俗に呼ばれているものだが、日本国内に大きな影響力を持つといわれている。 かねてから天皇のことを「聖上」などと呼び、天皇の事跡や独裁行動に「聖」の字を冠することは多かった。天皇の意思は「叡意」や「叡慮」「大御心」などと言われるが、「聖断」はそれよりも尚、重要な政治的決定を指すものと解されている。詔勅は形式において天子の発言を記すものでありすべてが臣民にとって聖断となるが、実際の詔勅は太政官・元老・枢密院・大本営などが協議・調整のうえ天皇の名で発出されるものであり、この記事では歴史学において「実質的に」天皇が判断したと論じられる事件について扱う。 かつてあったとされる「聖断」 王政復古の大号令[要出典]…明治天皇が慶応3年12月9日(1868年1月3日)に勅諭を発し、12月14日に諸大名に、16日に庶民に布告された。天皇親政・公議政治の名分の下、新政府を樹立するものであった。 征韓論の裁定…西郷隆盛の朝鮮への派遣についての裁定。この裁定は西郷らの下野につながった(明治六年政変) 日支郵便約定処理問題・・・九カ国条約にともなう支那からの郵便局撤去に関して生じた枢密院・外務省・内閣を巻き込む政争に、摂政時代の昭和天皇が判定を下した事例[1]。 二・二六事件…昭和天皇は反乱将校たちに激怒し、徹底した武力鎮圧を命じている。天皇自ら近衛師団を率いて鎮圧に当たると述べたとされる。 ポツダム宣言受諾…1945年(昭和20年)8月9日から10日(及び14日)、ポツダム宣言の受諾を巡って御前会議が紛糾した際に、昭和天皇自ら受諾の決断を下したとされる。「聖断」といえばほとんどこの例を指す。 昭和天皇の政治関与について 昭和天皇は立憲君主としての役割を自認していたとされ、即位以来、政治に大きく関わることは比較的少なかったとされている。 しかし田中義一内閣の時、昭和天皇が田中義一首相の言動に対して懐疑的になり、侍従長に「田中総理の言ふことはちつとも判らぬ」という言葉を発した。これが田中に伝わり、田中は『恐懼に堪えない』として、内閣総辞職した。この事件を、上記の例に並んで、天皇が政治に関わったとされることがある(→張作霖爆殺事件)。 関連項目 終戦の日 玉音放送 宮城事件 日本の降伏 詔勅、詔 勅令、勅語 おことば 天皇主権 脚注 [脚注の使い方] ↑ 荒船俊太郎「摂政輔導問題と元老西園寺公望」(史観第158冊、早稲田大学史学会、2008.3) この項目は、日本の皇室、皇族に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Category:日本の皇族)。表示編集 Related Articles