肝付兼般
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| 時代 | 江戸時代後期 |
|---|---|
| 生誕 | 安永5年7月22日(1776年9月4日)[1] |
| 死没 | 文政3年10月5日(1820年11月10日) |
| 改名 | 鶴五郎(幼名)→兼般→見海(号) |
| 別名 | 通称:典膳、帯刀 |
| 戒名 | 松寒院殿覚雲見海大居士 |
| 主君 | 島津斉宣→斉興 |
| 藩 | 薩摩喜入領主 |
| 氏族 | 喜入肝付氏 |
| 父母 | 父:肝付兼満、母:小松清香養女 |
| 兄弟 | 兼般、兼次、兼智、新納久敬 |
| 妻 |
正室:二階堂行充娘 継室:島津久中娘 |
| 子 | 兼善、智(島津東市郎室)、厚、多賀(倉山久籌室)、フヤ(三崎新八郎室)、兼次 |
肝付 兼般(きもつき かねつら)は、江戸時代後期の薩摩藩士。喜入肝付氏9代当主。
喜入肝付氏は肝付氏12代・肝付兼忠の三男・兼光を祖とする庶流。
安永5年(1776年)、肝付兼満の子として生まれる。天明6年(1786年)、元服する。寛政4年(1792年)、火消奉行を拝命する。寛政6年(1794年)、父・兼満の隠居により家督相続する。
文化11年(1814年)、吉田地頭職。文化14年(1817年)、隠居して家督を嫡男・兼善に譲る。
文政3年(1820年)10月5日没。享年45。