肝付兼英

From Wikipedia, the free encyclopedia

肝付兼英

肝付 兼英(きもつき かねふさ、1893年明治26年)7月29日[1] - 1974年昭和49年)11月22日[1][2])は、大正から昭和期の農林技師政治家華族貴族院男爵議員

海軍士官肝付兼行の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1922年(大正11年)2月10日、男爵を襲爵した[1][3][5]

1923年(大正12年)早稲田大学理工学部を卒業した[2][3]。同年、農商務技手に就任[2]。以後、商工技手、資源局技師などを務めた[2][3]

1929年(昭和4年)4月27日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで3期在任した[2]。同年の第1回参議院議員通常選挙全国区から立候補したが落選した[8]。その他、廣田内閣内務参与官商工省参与、土木会議議員、国立公園委員会委員、中央塗装統制社長、静岡瓦斯監査役などを務めた[2][3]

親族

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI