肥後正典
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鹿児島県指宿市出身[4]。旧制鹿児島県立指宿中学校(現鹿児島県立指宿高等学校)、日本医科大学予科を経て[5]、1943年日本医科大学卒業[1][2]。陸軍に入隊し、陸軍軍医学校卒業後、上海検疫官(陸軍軍医大尉)[6]。1946年7月復員、1946年10月開業[6]。復員後は旧揖宿郡山川町に居住[6][7]。1953年新制鹿児島大学・旧制県立鹿児島医科大学の桝屋富一内科教室専攻生[6]。1955年4月30日から山川町議会議員を務める[8]。1961年3月31日、論文「末梢血好酸球の臨床的研究」により、県立鹿児島医科大学から医学博士の学位を授与される[9]。
1964年6月から指宿市十二町の肥後内科病院の院長(姉の肥後ヒロが理事長)[10]。鹿児島県議会議員を3期務めた後[1]、1982年指宿市長に当選する[1][2]。市長1期目は指宿中央林道やオーストラリアの森の完成や図書館の建設、市営住宅や下水道、港湾などの事業を継続した[1]。1986年の市長選で落選[2]。1990年に返り咲き市長2期目[2]。1994年の市長選で落選[2]。2003年死去。死没日付をもって従七位から正五位に進階した[11]。