能澤正雄
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委員など
1927年生まれ。1945年、都島工業学校(現・大阪府立都島工業高等学校卒業[3]。同年4月、阪大理学部に併設されていた大阪臨時教員養成所に入る[3]が、6月に赤紙を受取り独立工兵隊に配属、和歌山県紀ノ川の川口付近に配置される[3]。終戦を経て臨時教員養成所を卒業した後1951年3月、大阪大学理学部物理学科卒業[2]。大学では菊池正士の研究室に所属した[3]。1960年2月、大阪大学理学部助教授となる[2]。武田栄一から移籍の要請をうけ[3]、同年4月、日本原子力研究所入所[3]。1965年、日本原子力研究所の組織改編により原子炉設計室に配属となる[4]。設計のリーダーとして高速炉グループを編成し[4]、高速実験炉常陽の設計に取組んだ[4]。1983年4月、日本原子力研究所東海研究所の副所長となる[2]。1985年3月、日本原子力研究所の理事となる[2]。日本原子力研究所を退いた後は高度情報科学技術研究機構の顧問を務めた。2019年7月15日死去、享年92歳[2]。
脚注
- ↑ シバ『全国各種団体名鑑1989』(株)シバ、1988年、750頁。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 “EAJ NEWS No.181 (Oct.2019) 巻末訃報欄より” (PDF). 公益社団法人 日本工学アカデミー (2019年10月1日). 2026年3月23日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 “能澤正雄氏より森一久氏宛「仮想立花昭記念館」の送付に感謝するとともに高速炉開発の議論の頃の立花氏との因縁 2008年8月6日に書いた伏見康治とのかかわりで阪大から原研に行くようになったエピソードを書いたもの同封 自己紹介(戦時中大阪市立都島工業学校・大阪臨時教員養成所から阪大理学部へ進むことになった経緯)” (PDF). 森一久資料室. 2026年3月23日閲覧。
- 1 2 3 “原子力プロジェクト研究に従事して” (PDF). アルス文庫. 2026年3月23日閲覧。
- ↑ “能澤,早田:「原子力発電所のための基本安全原則」について” (PDF). 原子力学会誌,V0l.30,N0.10 (1988年). 2026年3月23日閲覧。
- ↑ “防災基本計画専門調査会のメンバー” (PDF). 内閣府. 2026年3月23日閲覧。
- ↑ “プロジェクトチーム委員名簿”. 内閣府. 2026年3月23日閲覧。
- ↑ “原子力艦災害技術検討委員会(議事概要) 3頁” (PDF). 内閣府. 2026年3月23日閲覧。