能義神社
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位置
北緯35度23分58秒 東経133度13分06秒 / 北緯35.3995度 東経133.2184度座標: 北緯35度23分58秒 東経133度13分06秒 / 北緯35.3995度 東経133.2184度
主祭神
天穂日命
| 能義神社 | |
|---|---|
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本殿 | |
| 所在地 | 島根県安来市能義町366 |
| 位置 | 北緯35度23分58秒 東経133度13分06秒 / 北緯35.3995度 東経133.2184度座標: 北緯35度23分58秒 東経133度13分06秒 / 北緯35.3995度 東経133.2184度 |
| 主祭神 | 天穂日命 |
| 社格等 |
式内社 旧県社 |
| 本殿の様式 | 大社造 |
| 例祭 | 10月19日 |
| 主な神事 | 神幸祭 |
| 地図 | |
歴史
『出雲国風土記』意宇郡条の在神祇官社の「野城社」、『延喜式神名帳』出雲国意宇郡の「野城神社」に比定されるが、同じく『延喜式神名帳』出雲国能義郡の「天穂日命神社」に比定する説もあり、吉佐村の国津大明神(現支布佐神社)との間に正徳年間と明治初期の2回にわたり論社争いがあった[2]。
『日本三代実録』によれば、能義神に与えられた神階は貞観9年(867年)に従五位上、貞観13年(871年)に正五位下とされている。しかしこれが能義神社に与えられたものか、天穂日命神社に与えられたものかは不明である[1]。
慶長16年(1611年)の火災で社殿を消失したときに古記録は失われてしまった。近世には能義郡の総社として崇敬を集めた。明治4年に郷社に列格し、その後明治6年(1873年)に県社に昇格した。
