脇田赤峰 From Wikipedia, the free encyclopedia 脇田 赤峰(わきた せきほう、生年不詳 - 文化5年12月19日〈1809年2月3日〉)は、江戸時代中期から後期の書家。名は順。字は和卿。通称は郷右衛門。赤峰は号[1]。 生まれは不明だが、江戸に住む。松下烏石に書を学んだ。主に寛政から文化年間(1789年から1817年)に活動した。作品としては、寛政5年(1793年)に揮毫した渋谷区の龍巌寺の松尾芭蕉の句碑や、文政14年(1817年)に著した『草書法要』(出版は須原屋伊八で、須原屋茂兵衛の暖簾分け)などがある[2]。 文化5年(1809年)没。墓所は六本木なだれ坂の真宗大谷派円林寺にあり[3]、正面に「赤峰先生之墓」とあるほかに刻みはない。 脚注 ↑ コトバンク 脇田赤峰 ↑ 大東文化大学 ギャラリー解説 ↑ 真宗大谷派東京教区 暮らしにじぃーん 圓林寺 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。表示編集この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles