膳大丘

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 不明
死没 不明
別名 大岡
 
膳大丘
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
別名 大岡
官位 従五位下大学博士豊後介
主君 称徳天皇光仁天皇
氏族 膳臣
テンプレートを表示

膳 大丘(かしわで の おおおか)は、奈良時代貴族儒学者。名は大岡とも表記する。官位従五位下大学博士

孝謙朝天平勝宝4年(752年)の第12次遣唐使に随行して渡唐する。天平宝字5年(761年)第13次遣唐使に従って帰国したと想定され[1]、帰国にあたっては金剛菩薩註金剛般若経を持参したともいう。

称徳朝神護景雲2年(768年大学助教官職にあった際、以下の奏上を行う。

天平勝宝4年(752年)の遣唐使に随従して入唐した際に、先聖(孔子)の遺風を尋ね、膠庠(学校の名前)にある余烈(先人が残した功績)を見ると、国子監に2つの門があり、そのには文宣王(孔子の諡号)廟と記されていた。国子監の学生であった程賢という者によると、今の主上(玄宗)は儒家の教えを尊び、孔子に対して王号を追号したという。このように唐では聖人の徳の名残が今にまで及んでいる。しかし、日本では旧来のままの呼称であるため、日本でも、孔子を文宣王と号してはどうか。

この提案は採用され、日本でも孔子は文宣王と呼ばれるようになった[2]

その後、光仁朝宝亀8年(777年従五位下叙爵して大学博士に任ぜられ、宝亀10年(779年)には豊後介を兼帯した。

のちに秋篠寺住持となる常楼と親交があり、外伝(仏教以外の書物)を教授したという[3]

官歴

参考文献

脚注

Related Articles

Wikiwand AI