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自由都市

ドイツと日本での中世都市の一形態 From Wikipedia, the free encyclopedia

自由都市(じゆうとし、ドイツ語: Freistadt、Freie Stadt )とは、中世ドイツおよび日本において形成された、都市の一形態である。

  1. ドイツにおいては、司教都市の中で司教や大司教の統制から脱して皇帝直属の地位を得た、貢納や軍役などから自由な都市のこと。
  2. 日本においては、戦国時代に戦国大名など外部勢力の支配を拒み、豪商や名家などの(寡頭)合議制による統治が行われた都市のこと。→「自治都市#日本」を参照。
ブレーメン市庁舎前のローラン像
大司教のドームをにらみ、ブレーメン市民の自由を訴えている。

ヨーロッパの自由都市

のちに帝国やそれに順ずるような支配勢力から自立性を強めた帝国都市と同義になっていき、帝国自由都市とも称された。

歴史

自由都市とは本来、司教都市の中で司教や大司教の統制から脱して皇帝直属の地位を得た都市が、貢納や軍役の義務を負う他の帝国都市と異なり貢納や軍役などから自由であったことを意味していた。この点で、自由都市と帝国都市は別個の概念であった。しかし、帝国都市の勃興と皇帝権の低下に伴い帝国都市に課されていた義務も形骸化し、自由都市と帝国都市の差異が消失していった。このため、自立性の強い都市を総じて帝国自由都市と称するようになった。帝国自由都市は領邦と同等の地位にあり、帝国議会へ代表を派遣することができた。

16世紀半ばよりアウクスブルクの宗教和議などに見られるように、神聖ローマ帝国内での領邦君主の地位が強化され、領邦ごとの集権化が推進された。こうした中、各地域の領邦君主からの圧力で多くの帝国自由都市は権利を剥奪され、その自由を失っていった。

ナポレオンの征服下ではハンブルク、ブレーメン、リューベック、フランクフルト・アム・マインの4つの都市のみが自由都市としての地位を保った。このうち、ハンブルクとブレーメンは現在のドイツ連邦共和国でも独立した州として扱われており、その歴史的経緯を窺うことができる。

自由都市の一覧

脚注

参考文献

関連項目

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