臼井十郎 From Wikipedia, the free encyclopedia 臼井 十郎(うすい じゅうろう、生没年不詳)は、鎌倉時代の武将。上総介広常の甥。諱は不祥。 建暦3年(1213年)2月16日、泉親衡の乱に加わった[1]。印旛郡臼井(佐倉市臼井)の地を領したと考えられる。 出自に関しては不明なことが多く、上総介広常の弟とされる臼井親常(十郎)の子であると思われるが[2][3]、親常は弟ではなく甥であり、親常こそが謀反に加担した甥の十郎であるとも考えられる。また、上総介広常の妹の子と考えられる臼井常俊(十郎)に比定する説もある[4]。 脚注 ↑ 『中世東国武士団の研究』 1994, p. 379. ↑ 『史苑第1巻』 1928, p. 563. ↑ 野口実 2000, p. 192. ↑ “臼井氏”. 2022年10月23日閲覧。 参考文献 『中世東国武士団の研究』(高科書店、1994年、379p) 『史苑第1巻』(立教大学史学会、1928年、563p) 野口実『千葉氏の研究』(名著出版 、2000年、192p) 外部リンク この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles