舩山信一
日本の哲学者
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略歴
山形県東置賜郡吉島村(現:川西町)生まれ。米沢中学校(現:山形県立米沢興譲館高等学校)、山形高等学校を経て、1930年、京都帝国大学文学部哲学科卒業。西田幾多郎の下で哲学を学ぶ。マルクス主義者であることから、学派的には三木清、戸坂潤らとともにいわゆる西田左派に属する。1932年、戦前の著名なマルクス主義団体である唯物論研究会を戸坂潤らと結成。1933年、日本プロレタリア科学同盟に参加。1934年、治安維持法違反で逮捕・起訴される。
戦後は、1946年に河北新報論説委員。1955年立命館大学教授、1976年名誉教授。墓所は多磨霊園[1]
弟は元北海道教育大学学長の舩山謙次(日本共産党員)。舩山謙次の長女の夫は新しい歴史教科書をつくる会会長の藤岡信勝(元日本共産党員)。
| 舩山信一 | 舩山謙次 | 舩山しん | |||||||||||||||||||||||
| 藤岡信勝 | 妻 | ||||||||||||||||||||||||
主な著書
主な訳書
- フォイエルバッハ『唯心論と唯物論』(岩波文庫、1955年)