船崎恵視
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宮崎県宮崎市出身。友人に誘われて小学5年よりバレーボールを始める。走ることが大好きだったので、中学では陸上部を選択したが、バレーボールへの思いが強くなり、少しでも役立つとの思いからハイジャンプの練習に集中した。高校は県内バレー強豪校の宮崎日大高校へ進学する。セッターとして出場した1年生大会で優勝し、3年次にも宮崎代表となった。
香蘭女子短期大学卒業後、V1リーグの武田薬品に入部したが、3年後に廃部。JTマーヴェラスを経て茂原アルカスに入部するも後に廃部となり、2006年、Vプレミアリーグに昇格したばかりのトヨタ車体クインシーズに入部した。
安定したトス回しと効果率Vリーグ歴代3位のサーブが持ち味で、チームの成績向上に貢献。2008年12月の平成20年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会では優勝に大きく貢献した。
2011年6月、トヨタ車体を退団し、同年11月にPFUブルーキャッツに移籍した[2]。
2013年5月、PFUを退団[3]。2014年から白鷗大学バレーボール部の監督を務める。2017年8月、株式会社大丸プランニング[4]に入社。PSGAピラティスのインストラクター[5]やサーキットトレーニングのトレーナーを務める[6]。2018年7月に退社[7]。
2018年8月、新設チームのリガーレ仙台の監督に就任[8]。
2022年には、東海大甲府高校の女子バレーボール部コーチ[11]と、デフバレーボール女子日本代表コーチ[12]を務めた[1]。
エピソード
- 座右の銘は「継続は力なり」。この言葉を胸に、幾多の挫折や休部の波を乗り越えてきたといえる。