良泰親王
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 良泰親王 | |
|---|---|
| 続柄 | 後亀山天皇第三皇子 |
| 全名 | 良泰(よしやす) |
| 称号 | 小倉宮 |
| 身位 | 親王 |
| 出生 |
建徳元年(1370年) |
| 死去 |
嘉吉3年5月7日(1443年6月4日)(享年73) |
| 父親 | 後亀山天皇 |
| 母親 | 北畠信子(北畠顕信の娘) |
良泰親王(よしやすしんのう、建徳元年(1370年) - 嘉吉3年5月7日(1443年6月4日))は、南朝最後の天皇である後亀山天皇の第三皇子。小倉宮とよばれた。後亀山天皇の皇太子であったとも伝わる[1]。
後亀山天皇の皇子には小倉宮恒敦がおり、その諱を『南朝皇胤紹運録』では「良泰」としているが、同一人物かは不明[2]。その息子小倉宮聖承の諱も「良泰」とされるが、彼との関係も不明である。いずれにせよ、良泰親王に関しては小倉宮恒敦や小倉宮聖承を習合している部分が否めないと考えられている。
息子に泰仁王がいたとされ、南天皇で知られる尊雅王は四男とされる[3]。また、嘉吉3年(1443)9月に起きた禁闕の変の首謀者である通蔵主 ・金蔵主の兄弟は良泰親王の息子とされるが、資料不足で詳細は不明。