良移心当流

From Wikipedia, the free encyclopedia

良移心當流和(りょういしんとうりゅうやわら)は福野七郎右衛門正勝(諱は友善とも)によって起こされた武術である。

別名 良移心当流和
良移心頭流和
心倒流
発生国 日本の旗 日本
発生年 1622年(元和8年)
創始者 福野七郎右衛門正勝
概要 良移心當流和りょういしんとうりゅうやわら, 別名 ...
良移心當流和
りょういしんとうりゅうやわら
別名 良移心当流和
良移心頭流和
心倒流
発生国 日本の旗 日本
発生年 1622年(元和8年)
創始者 福野七郎右衛門正勝
派生流派 自剛天真流
主要技術
テンプレートを表示
閉じる

概要

流祖の福野七郎右衛門正勝に関する詳細な伝記は見当らないが、大坂生まれの近江京極氏の元家臣であったとされ、早くから柳生石舟斎宗厳、但馬守宗矩について柳生新陰流兵法を学び、その奥秘を極めた後、1622年(元和8年)良移心当流和の一流を興した[1]

良移心当とは、常により良いものを移す心で当たるとの意であり、常にその時の状況に応じて剛柔二者、陰陽を転換して対処するのが勝ちに通ずる道であるという意味であり、その精神は、陰陽和合の原則に従順で力の用法は水のように柔らかく、柳の枝のような 「外柔内剛」 となるのが最も良い方法であると説いている[1]

系統

良移心当流は久留米藩黒田藩などで学ばれていた。

久留米藩

久留米藩では良移心頭流と書かれる。黒田藩の久保貞治の門人が久留米藩に伝えたとされる系統であるとされている。正徳(1711~1716年)に森八郎右衛門が久留米藩に仕えたことで伝わった。

下坂與三太夫の弟子には、下坂専右衛門、下坂剛之進、野田録郎、妹尾季之進、宇高權太夫、中村半助、上原省吾、榊錫三郎、石野房次などがいた。

安政6年4月(1859年)に下坂五郎兵衛門人の久冨鉄太郎、鈴木寿太郎、諸冨清太郎、妹尾季之進、篠原泰之進天神真楊流と試合をしている。

下坂五郎兵衛の弟子の篠原泰之進は新選組隊士として有名である。また、久富鉄太郎は久留米藩の渋川流師範であり同藩の下坂道場にも出入りしていた。久富は明治時代に上京して警視庁武術世話掛に発足に関わったことにより、久留米藩の有力な柔術家が警視庁に招かれている。

明治初期に日本一の実力を持っていたとされる中村半助は下坂才蔵の門人であり、警視庁武術世話掛を務めていた。

下坂の良移心当流は中村半助や久富鉄太郎により警視流拳法に取り入れられた。


藤田麓憲貞系

黒田藩の久保貞次(久保貞治とも)から藤田麓憲貞に伝わり自剛天真流として分派した系統。篠原信一の論文によれば以下の通りである[1]

  • 藤田麓憲貞
  • 庄林藤原道一
  • 庄林又七郎
  • 庄林藤橘 - 藤橘の代で庄林家の相伝は絶えた。


内容

五ツ心持之大事[2]

  • 押籠必角見 分ツテ捻テ半分
  • 天地児而賛(夫夫に見)下ヲ招ク
  • 身右嵐盛勝 フリ不出懸ル
  • 四季ノ心立居 不登心ヲ近ク
  • 音之嵐天地ノ間不弛 此後左右ノ心  

当之巻[3]
空風火水地

  • <草かんむりに王、更に下に夂>拳
  • 無生

『日本大百科全書(ニッポニカ)』によれば、当身之巻として「摩・誥・衝・推・葵拳など七か条」とある[4]


下坂道場の内容

伊呂波中段
伊呂波上段
伊呂波奥儀八ヶ條
伊呂波極意三ヶ條

脚注

参考文献

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI