良移心当流
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概要
系統
久留米藩
久留米藩では良移心頭流と書かれる。黒田藩の久保貞治の門人が久留米藩に伝えたとされる系統であるとされている。正徳(1711~1716年)に森八郎右衛門が久留米藩に仕えたことで伝わった。
下坂與三太夫の弟子には、下坂専右衛門、下坂剛之進、野田録郎、妹尾季之進、宇高權太夫、中村半助、上原省吾、榊錫三郎、石野房次などがいた。
安政6年4月(1859年)に下坂五郎兵衛門人の久冨鉄太郎、鈴木寿太郎、諸冨清太郎、妹尾季之進、篠原泰之進が天神真楊流と試合をしている。
下坂五郎兵衛の弟子の篠原泰之進は新選組隊士として有名である。また、久富鉄太郎は久留米藩の渋川流師範であり同藩の下坂道場にも出入りしていた。久富は明治時代に上京して警視庁武術世話掛に発足に関わったことにより、久留米藩の有力な柔術家が警視庁に招かれている。
明治初期に日本一の実力を持っていたとされる中村半助は下坂才蔵の門人であり、警視庁武術世話掛を務めていた。
下坂の良移心当流は中村半助や久富鉄太郎により警視流拳法に取り入れられた。
藤田麓憲貞系
→「自剛天真流」を参照
黒田藩の久保貞次(久保貞治とも)から藤田麓憲貞に伝わり自剛天真流として分派した系統。篠原信一の論文によれば以下の通りである[1]。
- 藤田麓憲貞
- 庄林藤原道一
- 庄林又七郎
- 庄林藤橘 - 藤橘の代で庄林家の相伝は絶えた。