花里功
日本の自動車技術者
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略歴
元々幼少時から車好きで、高校2年生のときに自動車免許を取り、高校までの通学は軽自動車で通っていた[1]。20歳でドライバーとしてレース活動を開始し、FL500を始めとするカテゴリーに参戦するが、34歳で「金欠になって断念」した[1]。FL500ではムーンクラフトの由良拓也デザインのマシンなども走らせていた[2]。
1986年、萩原正志らと共に『エンドレスアドバンス』を創業。当時は手持ちの機材も少なく、一斗缶を改造して手づくりの撹拌機を製作し、摩材を混ぜていたという[3]。元々レース活動でハヤシレーシングのガレージを借りたときに、同チームの林将一らが「アルミホイールの材料でブレーキローターを作っていた」のを目撃し、そのときからブレーキを製造することが頭の中にあった[1]。翌1987年より、当時の全日本F3000選手権向けにブレーキパッドの供給を開始し、和田孝夫/星野一義らが好成績を残したことで、一気に経営が軌道に乗った[1]。以後はブレーキパッドだけでなくローター・キャリパー・フルードなどにも進出し、ブレーキ関連パーツを総合的に手掛けるメーカーとなった。
2023年2月3日、71歳で死去[4]。
人物